患者紹介料の禁止、中医協が了承 来春実施へ
【高橋健次郎】高齢者施設への訪問診療で、過剰な診療や不透明な金銭のやりとりなどが発覚した問題で、中央社会保険医療協議会(中医協、厚生労働相の諮問機関)は30日、厚労省の規制強化案を大筋で了承した。医師が業者に患者紹介料を払うのを禁止することなどが柱。厚労省はさらに中身を詰め、来年4月から実施する方針だ。
この問題は朝日新聞が「患者紹介ビジネス」などとして報じた。紹介料のやりとり自体は違法ではないが、厚労省は「過剰な診療や、患者が医療機関を選ぶ自由を奪うおそれがあり、不適切」と指摘。(1)患者紹介料の支払い禁止(2)訪問診療の診療報酬引き下げ(3)訪問先や診療時間などの記録を医師に求める――などの対策をまとめ、中医協に検討を求めていた。
この日の中医協では、「不適切な事例は排除すべきだ」との意見で一致。医療界代表の委員から「訪問診療の推進を妨げないでほしい」と注文がついたものの、規制の方向性に異論は出なかった。
画面外せて、1台3役 エイスースが新PC
名門道場に任せきり、子の安全後回し 相模原・柔道体罰
【竹野内崇宏、山元一郎】相模原市立相原中学校の柔道部員が、外部指導者から体罰を受けたと訴えた問題。道場名では出られない大会に学校名で出場し、活躍してきた「名門」道場と、そこに指導を任せきりにした学校。持ちつ持たれつのなかで子供の安全管理が後回しになっていた。
相原中柔道部は、部員の大半が近くの相武館吉田道場の2階の寮に住民票を移して寝泊まりし、主に道場で練習を重ねている。文部科学省も「極めて珍しい」と認める環境で、問題は起こった。
同中が今月9日に取ったアンケートで、部員3人が道場で30代の男性館長に平手打ちをされたり、軽く蹴られたりしたと訴えた。「そういうことは言うなと言われた」と回答した部員もいた。
道場では2009年12月にも男性コーチが練習試合で男子部員を平手打ちし、鼓膜を破り、学校は道場に再発防止を誓わせていた。
相原中柔道部は強豪だ。08、09年には女子団体で全国大会を連覇。昇降口には部の活躍を記録するパネル写真が展示されている。
相原中柔道部は、部員の大半が近くの相武館吉田道場の2階の寮に住民票を移して寝泊まりし、主に道場で練習を重ねている。文部科学省も「極めて珍しい」と認める環境で、問題は起こった。
同中が今月9日に取ったアンケートで、部員3人が道場で30代の男性館長に平手打ちをされたり、軽く蹴られたりしたと訴えた。「そういうことは言うなと言われた」と回答した部員もいた。
道場では2009年12月にも男性コーチが練習試合で男子部員を平手打ちし、鼓膜を破り、学校は道場に再発防止を誓わせていた。
相原中柔道部は強豪だ。08、09年には女子団体で全国大会を連覇。昇降口には部の活躍を記録するパネル写真が展示されている。
対馬の仏像盗難、二審も実刑判決 韓国高裁
【大田(韓国)=中野晃】長崎県対馬市から仏像2体が盗まれた事件で、韓国の大田(テジョン)高裁は30日、実行犯3人に文化財保護法違反などの罪で懲役3~4年の実刑を命じた一審判決を支持し、被告らの控訴を棄却。仏像は改めて「盗難品」と認定されたが、1体について韓国の寺が「もとの所有者だ」として返還を求める姿勢を変えておらず、日本に戻る見通しは立たないままだ。
仏像は、国の重要文化財の銅造如来立像と県指定有形文化財の観世音菩薩坐像。昨年10月、対馬から盗まれて韓国に持ち込まれたが、韓国警察が摘発し、文化財庁が保管している。
このうち高麗時代の観音像をめぐり、韓国・瑞山市の浮石寺が「日本に渡った経緯を明らかにすべきだ」として、韓国政府が仏像を日本側に渡さないよ う求める仮処分を申請し、大田地裁が2月、これを認めた。仮処分の効力は3年。同寺の宙耕(チュギョン)・住職(50)は29日、朝日新聞の取材に「対馬 の(所有者の)寺と心を交わすことで(仏像を)受け取れるようにしたい。時間をかけて話し合いの場をもつようにしたい」と述べた。
仏像は、国の重要文化財の銅造如来立像と県指定有形文化財の観世音菩薩坐像。昨年10月、対馬から盗まれて韓国に持ち込まれたが、韓国警察が摘発し、文化財庁が保管している。
このうち高麗時代の観音像をめぐり、韓国・瑞山市の浮石寺が「日本に渡った経緯を明らかにすべきだ」として、韓国政府が仏像を日本側に渡さないよ う求める仮処分を申請し、大田地裁が2月、これを認めた。仮処分の効力は3年。同寺の宙耕(チュギョン)・住職(50)は29日、朝日新聞の取材に「対馬 の(所有者の)寺と心を交わすことで(仏像を)受け取れるようにしたい。時間をかけて話し合いの場をもつようにしたい」と述べた。
「赤バット」「哲のカーテン」川上さんの愛称、由来は?
28日死去した川上哲治さんは、代名詞やニックネームの多い人だった。終戦直後、プロ野球に復帰して間もない1947年、運動具メーカーから贈られた真っ赤なバットを使用。青いバットを使った大下弘(元西鉄ほか)とともに「赤バットの川上、青バットの大下」と呼ばれた。
一時期、飛ぶボールが採用されて各打者の飛距離が伸びたが、川上さんは低く鋭い打球を打つスタイルを変えず、スポーツライターの大和球士氏によって「弾丸ライナー」と名付けられた。一方で、野手の間に落ちるテキサス安打も多く、付いたあだ名が「テキサスの哲」。
監督時代には、マスコミの取材を規制。東西冷戦時代に東側と西側を隔てた「鉄のカーテン」をもじって、「哲のカーテン」と言われた。
一時期、飛ぶボールが採用されて各打者の飛距離が伸びたが、川上さんは低く鋭い打球を打つスタイルを変えず、スポーツライターの大和球士氏によって「弾丸ライナー」と名付けられた。一方で、野手の間に落ちるテキサス安打も多く、付いたあだ名が「テキサスの哲」。
監督時代には、マスコミの取材を規制。東西冷戦時代に東側と西側を隔てた「鉄のカーテン」をもじって、「哲のカーテン」と言われた。
No comments:
Post a Comment