月収3千円「何度も自殺考えた」 生活保護めぐる訴訟
【後藤泰良】若くて健康。真摯(しんし)に求職活動すれば仕事に就けるはず。その論で生活保護費の支給を認めなかった大阪府岸和田市の判断は誤りだと司法が断じた。31日の大阪地裁判決。市の保護申請の却下処分取り消しを求め勝訴した原告の男性(40)は、求職に奔走しつつパンの耳をかじり命をつないだ日々を「地獄でした」と振り返った。
閉廷後、法廷を出た男性は目に涙を浮かべ、岸和田市の非を認めた判決に「ほっとしました」と語った。
中学を卒業してすぐ働いた。レストランの調理場やリフォーム会社の営業、テレビや携帯電話を組み立てる工場の派遣社員。「健康でやる気もある。仕事がないとは考えもしなかった」。だが2008年2月、大阪都心部に近い街から夫婦で義母の住む岸和田市に転居してから状況が変わった。
「面接までたどり着いても、僕より若く学歴のある人が採用される」。転居後、生活保護を受ける1年余りで「400件以上電話し、40~50回の面接を受けた」。仕事は選ばず当たりまくった。
右肩下がりの時代を迎えた21世紀、日本の失業率は跳ね上がった。国勢調査によると、00年の4・7%から10年には6・4%へ。特に最終学歴が中学卒業者の労働環境は厳しく、失業中の男性と同じ働き盛りの30代後半(35~39歳)も8・0%から13・3%に悪化。同年代の高卒7・2%、大卒3・5%に比べ中卒の高失業率が際だつ。
男性がようやく見つけた仕事は、釣り具の部品を作る内職だった。収入は月3千円ほど。妻(48)も仕事を探したが、ひざが悪くなかなか見つからない。生活保護の受給申請は却下され続け、10円のパンの耳と100円ショップで買った小麦粉、安売りのキャベツを焼いて食べる日々が続いた。
本やCDなど売れる物はすべて売った。一張羅のスーツも売り、就職面接は普段着で行った。散髪も行けず、風呂も入れず、履歴書を買う金も履歴書の写真を撮る金もなく、1通を使い回した。
09年7月、6回目の保護申請でようやく保護費の支給が認められた。今は生活保護を受けながら、夫婦で新聞配達をして生計を立てている。
「何度も自殺を考えた。生きるか死ぬかの生活に陥った人が救われる世の中になってほしい」
山本太郎氏が陛下に手紙、参院議運理事会が対応協議
参院議院運営委員会理事会は1日、山本太郎参院議員(無所属)が園遊会で、天皇陛下に手紙を手渡したことについて対応を協議する。山本氏は東京電力福島第一原発の事故の現状を伝えたかったといい、天皇の政治利用を否定している。
山本氏は今年7月の参院選東京選挙区に脱原発を掲げて初当選。手紙には原発事故による子どもたちの被曝(ひばく)や作業員の労働環境の現状などを書いたという。31日、記者団に「政治家である前に人間として憂えを持っている。身分を横に置いて、思いを伝えたかった」と述べていた。
イスラエル、またシリア空爆か ミサイルの輸送阻む狙い
【カイロ=山尾有紀恵】米CNNなど複数のメディアが10月31日、米政府筋やシリア反体制派などの話として、イスラエル軍が10月30日、シリア西部ラタキア近郊のシリア軍基地を空爆したと報じた。イスラエルと敵対するレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラへ輸送されるミサイルを狙ったとみられる。イスラエル、シリア両政府はいずれもコメントしていない。
ヒズボラはイスラエルと武力衝突を繰り返す一方、内戦が続くシリアのアサド政権と協力関係にあり、シリアにも戦闘員を送り込んでいる。イスラエルは、アサド政権が保有するロシアやイラン製の高性能兵器がヒズボラの手に渡り、イスラエルを脅かすことを警戒。移転の兆候があれば攻撃すると警告していた。
防衛相、中国の抗議に「理解できない」 警戒監視めぐり
小野寺五典防衛相は1日の会見で、中国国防省が中国海軍の演習区域に海上自衛隊の艦艇と航空機が侵入したと抗議してきたことについて、「通常の警戒監視で、国際法上何の問題もない。(抗議は)全く理解できない」と反論した。
NYタイムズが赤字転落 傘下の地方紙売却で損失
【ニューヨーク=畑中徹】米新聞大手ニューヨーク・タイムズが10月31日発表した2013年7~9月期決算は、純損益が2400万ドル(約23億円)の赤字(前年同期は270万ドルの黒字)だった。12年4~6月期以来、5四半期ぶりの赤字転落。傘下の地方紙、ボストン・グローブなどの売却で損失を出したことなどが響いた。
売上高は前年同期比1・8%増の3億6100万ドル(約350億円)だった。購読収入が同4・8%増えたが、広告収入は同2%減少した。近年、力を入れるデジタル版の購読者は昨年9月末時点よりも約16万人増えて72万7千人となり、順調に伸びている。
同社は、インターネット普及にともない新聞の発行部数や広告収入減少が続いているが、傘下の地方紙を売却するなど経営の選択と集中を加速し、収益基盤の強化をめざしている。
秀頼の大仏殿、秀吉より大きく再建 父弔う意図か 京都
【佐藤剛志】豊臣秀吉が創建し、息子の秀頼が再建した方広寺(ほうこうじ)・大仏殿跡(京都市東山区)で、基壇(土台)の一部が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が31日発表した。秀吉のものより秀頼の方が一回り規模が大きいことがわかり、「父を弔う気持ちが表れているのでは」という。
大仏殿は1588年、秀吉が奈良・東大寺の大仏殿にならって造営を開始。95年に高さ19メートルの大仏(木造)が完成したが、翌年の地震で大仏が倒壊。秀吉の死後に秀頼が整備を引き継ぎ、大仏鋳造時の火災で大仏殿が全焼したが、1614年にほぼ再建された。後にいずれも失われた。
今回、基壇の東辺が秀吉期より秀頼期の方が約1メートル大きいことが判明。2000年の調査では、南辺が秀頼期の方が約1・8メートル大きかった ことも判明している。これらの調査結果から秀頼期は南北約103メートル、東西約69メートルと推定され、世界最大の木造建築物とされる現在の東大寺大仏殿を超す大きさだった。
研究所調査課の南孝雄主任は「基壇をより大きく造ることで、亡くなった父・秀吉を供養する意図があったのでは」と話す。
今回の調査で、大仏殿の礎石を据え付ける一辺約4メートル、深さ約1メートルの穴4個も見つかった。礎石が沈まないよう、こぶし大の石を大量に敷き詰めていた。
現地説明会は2日午前10時、午後1時の2回。問い合わせは現場事務所(090・9713・8715)へ。
大仏殿は1588年、秀吉が奈良・東大寺の大仏殿にならって造営を開始。95年に高さ19メートルの大仏(木造)が完成したが、翌年の地震で大仏が倒壊。秀吉の死後に秀頼が整備を引き継ぎ、大仏鋳造時の火災で大仏殿が全焼したが、1614年にほぼ再建された。後にいずれも失われた。
今回、基壇の東辺が秀吉期より秀頼期の方が約1メートル大きいことが判明。2000年の調査では、南辺が秀頼期の方が約1・8メートル大きかった ことも判明している。これらの調査結果から秀頼期は南北約103メートル、東西約69メートルと推定され、世界最大の木造建築物とされる現在の東大寺大仏殿を超す大きさだった。
研究所調査課の南孝雄主任は「基壇をより大きく造ることで、亡くなった父・秀吉を供養する意図があったのでは」と話す。
今回の調査で、大仏殿の礎石を据え付ける一辺約4メートル、深さ約1メートルの穴4個も見つかった。礎石が沈まないよう、こぶし大の石を大量に敷き詰めていた。
現地説明会は2日午前10時、午後1時の2回。問い合わせは現場事務所(090・9713・8715)へ。
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