[PR]
 【佐藤剛志】豊臣秀吉が創建し、息子の秀頼が再建した方広寺(ほうこうじ)・大仏殿跡(京都市東山区)で、基壇(土台)の一部が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が31日発表した。秀吉のものより秀頼の方が一回り規模が大きいことがわかり、「父を弔う気持ちが表れているのでは」という。
 大仏殿は1588年、秀吉が奈良・東大寺の大仏殿にならって造営を開始。95年に高さ19メートルの大仏(木造)が完成したが、翌年の地震で大仏が倒壊。秀吉の死後に秀頼が整備を引き継ぎ、大仏鋳造時の火災で大仏殿が全焼したが、1614年にほぼ再建された。後にいずれも失われた。
 今回、基壇の東辺が秀吉期より秀頼期の方が約1メートル大きいことが判明。2000年の調査では、南辺が秀頼期の方が約1・8メートル大きかった ことも判明している。これらの調査結果から秀頼期は南北約103メートル、東西約69メートルと推定され、世界最大の木造建築物とされる現在の東大寺大仏殿を超す大きさだった。
 研究所調査課の南孝雄主任は「基壇をより大きく造ることで、亡くなった父・秀吉を供養する意図があったのでは」と話す。
 今回の調査で、大仏殿の礎石を据え付ける一辺約4メートル、深さ約1メートルの穴4個も見つかった。礎石が沈まないよう、こぶし大の石を大量に敷き詰めていた。
 現地説明会は2日午前10時、午後1時の2回。問い合わせは現場事務所(090・9713・8715)へ。