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Tuesday, 11 February 2014

The Asahi Shinbun 12-Feb-2014


平野と平岡、マイペースでメダル 「楽しかった」

 

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 (11日、スノーボード男子ハーフパイプ)
 日本勢初のメダルをもたらしたのはスノーボード界の新星2人だった。
 スノーボード・ハーフパイプ男子、15歳の平野歩夢(バートン)と18歳の平岡卓(フッド)。ともに小学生の頃からスポンサーとプロ契約。スノーボードが盛んな米国を中心に海外を転戦し、腕を磨いている。








17歳高梨、ぼうぜん4位 「メンタルの弱さだと思う」

 

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 (11日、ノルディックスキージャンプ女子ノーマルヒル)
試合後のフラワーセレモニーを、高梨沙羅(クラレ)はぼうぜんと見つめていた。五輪で初めて行われた女子ジャンプ。金メダルの大本命が4位にとどまり、メダルにも手が届かなかった。「おめでとうという気持ちと、自分もあそこに立ちたかったという悔しい気持ちでいっぱい」。震えた声で言った。
 1回目の3位から逆転を狙ったが、2回目も得点を伸ばせなかった。「思い通りに飛べなかったということは自分のメンタルの弱さだと思う」。今季の ワールドカップ(W杯)では13戦10勝。五輪が近づくにつれて周囲からの期待が高まった。重圧になっていたかと問われ、「重圧というより、力に変えて練 習も頑張ってこられた。ただ、体に切れがなかった」。いつもはどんな結果に終わっても気丈に振る舞ってきた17歳が、泣いた。(笠井正基)








対岸の青森・大間原発建設、函館市が差し止め提訴へ

 

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 北海道函館市が、青森県大間町大間原発を建設中のJパワー(電源開発)と国を相手取り、同原発の建設差し止めを求める訴訟を3月にも東京地裁に起こす。工藤寿樹市長が12日に正式発表する予定だ。自治体が原告になる原発差し止め訴訟は全国初になる。
 函館市津軽海峡をはさんで大間原発の対岸に位置する。最も近い所で原発から約23キロで、原発事故に備えた避難の準備などが必要な防災対策の重点区域(UPZ=30キロ圏)に市域の一部が含まれる。
 東京電力福島第一原発事故では、福島県浪江町が全町民の避難を迫られるなど、30キロ圏の自治体にも放射性物質による大きな被害が及んだ。函館市は訴状案で、事故が起きれば函館市も壊滅的被害を受ける危険性があると主張する。









検事、証人に「想定問答集」 鈴木宗男氏の汚職事件公判

 

 内閣官房副長官などを歴任した鈴木宗男・元衆議院議員(66)=新党大地代表=の汚職事件の 公判で、東京地検の検事が証言を前にした複数の贈賄側業者に多数の問答をあらかじめ記した「尋問メモ」を渡していたことがわかった。証人らは法廷でほぼこ の通りに有罪の決め手となる証言をし、鈴木氏は2010年に有罪が確定して失職した。このメモの存在を知った鈴木氏側が、「検察のシナリオ通りに誘導尋問 され、偽証が行われた新証拠だ」などとして12年に再審を申し立てる事態となっている。
 これまでにも検事が想定問答集を用意していたとの証言はあるが、現物が確認されたケースは異例だ。
 尋問メモを渡したのは、証言内容をあらかじめ確認する「証人テスト」の場。東京地検は、東京地裁に出した意見書でメモの作成は認めたが、「証人テストの冒頭に渡して覚えろと言ったことはなく、証人と協議して作成した」と誘導尋問の可能性を否定。再審請求の棄却を求めている。








ヤンキース田中、第一声は「ハロー」 入団会見

 

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 プロ野球の楽天から大リーグヤンキースへ移籍した田中将大投手(25)が11日(日本時間12日未明)、ニューヨークのヤンキースタジアムで入団会見を行った。背番号19のピンストライプのユニホームに袖を通すと、笑顔で「ハロー」と第一声。「ヤンキースの一員になれて幸せです」と英語であいさつした。
 昨季は楽天で24勝0敗という大記録を残し、ヤンキースでも先発の柱として期待される。米メディアからヤンキースを選んだ理由を問われると、「ニューヨークという街はすべてにおいて厳しいところ。そこで自分の力を出し切りたいから」と明かした。重圧は感じないといい、昨季までと同じように、「投げる試合は全部勝つ気持ちでマウンドに上がる」と語った。
 会見には、ハル・スタインブレナーオーナーやキャッシュマンGM、ジラルディ監督らも同席。日米あわせて300人近くの報道陣が集まり、7年契約 で年俸総額1億5500万ドル(約161億円)で伝統球団に入る注目度の高さがうかがわれた。田中はフロリダ州タンパで15日に始まる春季キャンプからチームに合流する。(ニューヨーク=山口裕起)







佐村河内守さんの謝罪文(全文)

 

 12日未明に出された佐村河内守さんの自筆の謝罪文の全文は、以下の通り(原文は縦書き)。
お詫び
今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。
そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。
弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。
また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことも心からお詫びしたいと思っています。
私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の噓によって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者の人たち、広島市の関係者、友人、家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くお詫びいたします。
私がついた噓は、新垣さんのことだけではありません。
もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。
今は、自分を偽って生きて来たことを深く恥じています。
そして、私の要求に18年もの間応じて来たことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。
ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえていたはずだと言われていることは事実とちがいます。
耳が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で手帳をもっていることはまちがいありません。
そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。
しかし耳のことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。
実は最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。
三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していまし た。但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。しかし2月4日に初め て弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。
私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他の噓のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。
もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。
新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。
ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、色々な情報が出ていると聞き、もうこれ以上は噓はつけないと思い、2月9日になっ て、耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのでは ないかとも質問されましたが、それだけはちがいます。
全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。
もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました。
ですので、今日は、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。
耳のことについては、専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。
それと、いくつかご説明もさせて下さい。
もちろん、すべて真実をお話すると決めたので、この後に書くことに噓はありません。
まず、私と新垣さんとの関係は二人きりの秘密でした。
この噓がバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にも誰にも話していません。
妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので作曲の仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。
また新垣さんへの指示書を書いたのは私です。
お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。
何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。
私の実家にピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。
もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いをさせています。
妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。
そのことは妻の判断に任せます。
それと私が被爆二世であることも真実です。
私の両親は共に広島で被爆しています。
二人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。
私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。
私自身、そういう気持ちが一方にあったことはまちがいありません。
しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たちの助けになればという気持ちもまちがいなくありました。
もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。
しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。
本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。
もう一つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるようにしてもらいたいと思います。
最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ず公の場で謝罪をさせていただきます。
本当に申し訳ありませんでした。
平成二六年 二月十一日
佐村河内 守




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