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Sunday, 5 May 2013

The Asahi Shinbun 6-May-2013

主人公の夢、「後輩」叶えた 小説モデルのボート部初V

高校女子ボート部の奮闘を描き、映画やドラマ化された小説「がんばっていきまっしょい」のモデルとなった松山東高(愛媛)が、5日に大津市の滋賀県立琵琶湖漕艇(そうてい)場であった第66回朝日レガッタ(関西ボート連盟、朝日新聞社など主催)の高校女子ダブルスカルで初優勝した。原作の主人公が果たせなかった朝日レガッタの優勝。物語の続きを「後輩」が実現した。

 「ひがしこー、がんばっていきまっしょい!」。レース前の船台で、松山東高の部員たちがみんなで声を合わせる。ダブルスカル(2人乗り)に出場する3年久門(くもん)愛菜さん(17)と2年井ノ口晴翔(はるか)さん(16)が「しょいっ」と呼応した。同校の体育や行事などで伝統となっているかけ声の場面は小説でも描かれ、タイトルにもなった。

 敷村良子さん原作の「がんばっていきまっしょい」は、女優の田中麗奈さん主演で1998年に映画化された。敷村さん自身が同校のボート部出身。女子生徒が「女子ボート部」を新設し、全国大会の朝日レガッタを目指すストーリーで、原作は、大会出場を決めたところで終わっていた。

怒った泣いた闘った 「平成の鬼平」中坊公平さん死去

「平成の鬼平」「市民派弁護士」。数々の異名で知られた元日本弁護士連合会会長の中坊公平(なかぼうこうへい)さん(83)が死去した。弁護士廃業後は体調を崩し、3日に亡くなるまで入退院を繰り返していた。強烈なリーダーシップで司法制度改革を進めた中坊さんの死に、関係者から惜しむ声が広がった。

■司法制度改革けん引

 市民に寄り添う弁護士だった。1955年に発生した「森永ヒ素ミルク中毒事件」。被害者側の弁護団長を担い、森永乳業から恒久救済措置を引き出した。高齢者らが多額の資産を失った「豊田商事事件」(85年破産)でも同社の破産管財人として被害者救済に尽力し、計約120億円の配当にこぎつけた。

 90年4月から2年間務めた日弁連会長時代には「市民に身近な司法」を掲げ、のちの裁判員制度につながる「国民の司法参加」などを柱とした司法改革宣言の採択に力を注いだ。

「SUKIYAKI」全米1位50年 東京で展覧会

【前田大輔】50年前の5月11日。あの歌が、米ビルボードチャートに初登場した。「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」だ。1カ月後、首位を獲得。いまも、日本の楽曲で唯一の快挙として輝く。ヒットの秘密を探る展覧会が、世田谷文学館(東京都世田谷区南烏山1丁目)で開催中だ。

 展覧会の入り口をくぐると、故・坂本九さんの独特の歌声が響く。全米売り上げ100万枚を記念して贈られたゴールドディスクも、訪れた人を迎える。

 名曲が産声をあげたのは、高度成長期の最中だった1961年。当時19歳だった坂本さんの独特の節回しを聴いた作詞の永六輔さんは「ふざけている」と激怒した。出だしの歌詞が「ウヘホムフイテ アールコゥオゥオゥオゥ」と聞こえたからだ。だが、実は作曲の故・中村八大さんの指示によるもの。のちに「譜面に『オゥオゥオゥ』と書き入れていた。永さんの怒りが激しいので、私はずっと黙っていた」と回想している。

天から届いた「聖火の奇跡」 エルサレムの教会で儀式

【エルサレム=川上泰徳】エルサレム旧市街にあるキリスト教の聖地「聖墳墓教会」で5日、ギリシャ正教やアルメニア正教などの東方正教会の復活祭を迎えたが、前日の4日、正教会恒例の「聖火の奇跡」の儀式が行われた。

 教会は午前中から地元のパレスチナだけでなく、ギリシャ、ロシア、ルーマニア、エチオピアなど世界中の正教会の巡礼者で埋まった。記者も特別に許可を得て、教会の中に入った。

 身動きもできない教会の中で待つこと2時間半。午後2時すぎ、突然、鐘の音が響き渡り、巡礼者の間から悲鳴のような歓声があがった。ギリシャ正教の総主教が、キリストが埋葬されたとされる神殿に入り、火がついたろうそくを持って出てきた瞬間である。火は天から送られてきたと信じられ、「聖火の奇跡」と呼ばれる。

営業中のパチンコ店で600万円奪われる 大分・日田

5日午後8時50分ごろ、大分県日田市友田のパチンコ店「ヴィーナスギャラリー日田店」から「2人組の男に600万円が入った手提げバッグをとられた」と110番通報があった。県警によると、営業中の店内で、女性店員が現金回収機から売上金を集めている最中に、ショルダーバッグを後ろからひったくられた。2人ともやせ形で身長170~180センチ。白いマスクをしていた。窃盗事件として調べている。

松井氏「また会えること夢見て出発」 引退セレモニー

国民栄誉賞の表彰式の前には、松井氏の引退セレモニーが行われた。

 「4番、センター、松井。背番号55」。懐かしいアナウンスに導かれ、スーツ姿でグラウンドに現れると、スタンドから歓声が上がった。ゆっくり、マウンドと本塁の間に置かれたマイクの前に歩を進め、落ち着いてスピーチした。

 「ジャイアンツの4番を任せていただき、誇りと責任を持ってプレーしてきた。その過程には、常に長嶋監督の指導があった」と話すと、最後に「皆様にお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います。本当に本当にありがとうございました」などと締めた。

 長嶋氏とともに白いオープンカーに乗り、グラウンド内をフェンスに沿って1周した後に、国民栄誉賞の表彰式が行われた。始球式で長嶋氏が松井氏が投げた球を打ちにいって空振りになった場面について、見守った王貞治氏は「野球人としての長嶋茂雄の思いが表れていたと思う」と話した。

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