日米韓首脳会談へ 韓国大統領府が事実上確認
日生が男性育休取得100% 大企業では異例
日本生命保険で働く男性社員の育児休業取得率が20日、100%に達した。1年前は日本企業の平均並みの1%台だったが、今年度から社員に取得を促してきた。厚生労働省によると、大企業で男性の育休取得率100%は「聞いたことがない」(雇用均等政策課)という。
対象は、2011年10月~12年9月に子どもが生まれた男性社員279人で、育休の取得期限が今年度末までだった。日生は全社員が約7万人、うち男性は約7700人。育児・介護休業法は、子どもが1歳半になるまで育休を取れるとしているが、日生は1歳半になった年度末までに延ばしている。
今年度から各部署に徹底を呼びかけた。営業職など社員の9割を女性が占める職場で、男女ともに活躍しやすい環境をつくるのが狙い。会社や社員の利点を書いたハンドブックを配り、社内のネットでは「不安だったが、周囲がフォローしてくれた」といった経験者の声も紹介した。
実際の取得期間は、1日だけの人もいたが、多くは土日の休みも組み合わせて数日から1週間程度だったという。
厚労省が実施した12年度の雇用均等基本調査によると、全国4160事業所のうち、女性の育休取得者は83・6%だったが、男性は1・89%と大幅に低い状況が続いている。(西山明宏)
元教授、論文撤回を呼びかけ アルツハイマー研究
アルツハイマー病研究の国家プロジェクト「J―ADNI(アドニ)」の臨床研究データに基づいて米国学会誌で発表した論文について、筆者の1人である杉下守弘元東大教授が20日、データの14%に改ざんを含む不適切な例があったとして、共同筆者12人に論文撤回をメールで呼びかけた。STAP細胞の論文撤回問題で揺らぐ日本の先端医療研究への信頼がさらに失われる可能性がある。
杉下氏はJ―ADNIにデータ検証の責任者として参画する一方、認知症研究の国内第一人者で代表研究者を務める岩坪威東大教授ら12人と共同でアルツハイマー病患者の脳の特徴を探るために行うPET(陽電子放射断層撮影)に関する論文を2013年8月、米国の神経放射線学会誌に発表していた。
杉下氏が論文発表後に新たな資料を入手し検証した結果、論文に使ったデータ274例中、14%の39例が①記憶を試す面談検査で国際的手順に合わ
せる目的で検査時間を改ざんした②被験者の同意を得ていなかった③被験者が基準外の年齢だった――など不適切だったことが判明したという。
「AKB」は誰のもの? ドンキ、パチンコ台巡り提訴
人気アイドルグループAKB48のメンバーが登場するパチンコ台をめぐり、ディスカウントストア大手「ドン・キホーテ」(東京)が、AKB48の運営会社とパチンコメーカーを相手取り、販売差し止めや50億円の賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。「グループの草創期から支援してきたのに、グッズの独占販売権を侵害された」などと主張している。
アフガンのホテルで銃撃、2人負傷 タリバーンが声明
アフガニスタンの首都カブールで20日夜、多数の外国人客が滞在するホテル内で武装集団が銃を発砲し、警察当局者によると、外国人従業員を含む2人が負傷した。在カブール日本大使館によると、日本人が巻き込まれたとの情報はないという。
反政府武装勢力タリバーンが犯行声明を出した。内務省当局者は地元テレビに対し、武装集団は4人で、靴下の中などに拳銃を隠し持ってホテル内に侵入し、最終的に治安部隊に射殺されたと語った。このホテルは市内で最も警備が厳重とみられ、来月5日の大統領選の投票に向け、国外からの報道関係者らも宿泊していた。(イスラマバード=武石英史郎)
琉球弧を甲子園に描け 沖縄・奄美から選抜大会に3校
21日開幕の第86回選抜高校野球大会に沖縄から沖縄尚学と美里工が、鹿児島・奄美から大島が出場する。「琉球弧」と呼ばれる南西諸島に属する沖縄と奄美。ともに米軍統治下にあり、本土との試合がままならなかった時代には、両地域の学校同士で野球の交流がはかられた。当時の球児たちは60年余の時を経て、初めて一緒に甲子園の舞台に立つ後輩たちに、熱い視線を送る。
戦後すぐの沖縄は、まともなグラウンドすらなかった。雨のように降り注いだ艦砲弾によって、地形から変わり果てていた。
そんな中、当時糸満高野球部にいた知念繁夫さん(83)=沖縄県浦添市=は、米軍が使わなくなったプロテクターやスパイクをつけて練習した。サイズは合わず、ぶかぶか。でも、「野球ができる幸せをかみ締めていた」。
激しい空襲に遭った奄美でも、戦後は野球が一番の娯楽だった。大島中(現・大島高)では年に数回、社会人チームと米軍の親善試合があり、生徒に加えて、大勢の島民が観戦した。
ただ、当時は沖縄も奄美も米軍統治下にあり、本土のチームと試合をできる状況ではなかった。
戦後すぐの沖縄は、まともなグラウンドすらなかった。雨のように降り注いだ艦砲弾によって、地形から変わり果てていた。
そんな中、当時糸満高野球部にいた知念繁夫さん(83)=沖縄県浦添市=は、米軍が使わなくなったプロテクターやスパイクをつけて練習した。サイズは合わず、ぶかぶか。でも、「野球ができる幸せをかみ締めていた」。
激しい空襲に遭った奄美でも、戦後は野球が一番の娯楽だった。大島中(現・大島高)では年に数回、社会人チームと米軍の親善試合があり、生徒に加えて、大勢の島民が観戦した。
ただ、当時は沖縄も奄美も米軍統治下にあり、本土のチームと試合をできる状況ではなかった。
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